A.協会理事の尾形さくらです(^^

いつもお読みいただきありがとうございます!!

 

本日は、3月11日。

本当は書くつもりは全くなかったのですが
一人でも伝わる方がいたらいいな、と思ったので・・・


2011年の3月11日、
当時宮城県にいた私にとっても

人生が大きくかわった特別な日。
思い切って書かせていただこうと思います。

 

テーマは「相手の気持ちを想像するって?」です。


ご存知の方もいらっしゃいますが

私は東日本大震災で、親戚、親友、お付き合いしていた方を
亡くした経験をしています。

 

家族、仕事仲間は無事でしたが
それまでとても楽しく働いていた飲食店は閉店しました。


正直に言えば、私はいまだに3月11日の映像を見るのが苦手です。


もう7年前ですが、当時の映像が流れるテレビも見ません。

ニュースの記事も読みません。



宮城の友人、当時の職場の方と震災について
お話しすることもまずないです。


刺激が強すぎるのです。

全然他人事ではないからです。

 

震災当時も数日間、宮城は電気が通っていなかったので
テレビを見られていなかったこともあり
映像の刺激に慣れていない、ということもあるかと思います。


傷が癒されていない、とかではなく
「ただ当時の様子を覚えているからだなぁ」と思います。

 

この時期だけSNSで当時の動画や写真を載せたり、
現在の動画や写真を載せたりする方の投稿を
流れで見るのも私にはとても苦痛です。

 

申し訳ないですが、映像・写真はすっとばします。

もちろん色んな感じ方があるので

表現は自由でいいと思うのですが・・・

 

SNSを見て、見るつもりがなかった当時の映像や写真を見て
再度傷つく方がいないといいなぁ、と思うばかりです。

 

エピソードをひとつ、お伝えします。


2012年に私は関西に移り住み
あちこち仕事で出張にいきました。


関東・関西・九州で出会った方に
「宮城県出身です」と言うと・・・


「大変だったでしょう、大丈夫だった?」

と、聞かれることが本当に本当に多かったんです。


何十回も、この質問に答えるのがきつかったのです。

 

人情味がある方で、
初対面でも心から心配してくださって
出た質問だったのだとわかります。

 


「大変だったね」は
労いの言葉で受け入れられますが

 

「大丈夫だった?」
は、きかないでいただけると有難いな、と思います。

 


なぜならば、
「当時宮城にいた方で知人も全て【大丈夫】だった人は少ない」
「明るい話になる可能性が極めて低い
「初対面の方に本当に体験した辛いことは話さない」

からです。

私自身、結局「大丈夫です!」と、
嘘をつくことになってしまうことが多く、
自己嫌悪になってしまいました。

 

もう7年経っているのですが
今年はコラムを書く機会もいただいていますので
あらためてこちらに書かせていただきました。

 

難しいことですが
いろんな方の気持ちを想像しながら、

行動して、言葉を交わせたらいいですよね。

 

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